商号 |
株式会社石川工場 |
事業内容 | 石川式攪拌擂潰機製造販売 |
創業 |
明治30年 |
設立 |
明治35年 |
資本金 | 1,000万円 |
代表者 | 代表取締役社長 中村 雅一 |
本社所在地 | 〒135-0053 東京都江東区辰巳1丁目 1-8 |
電話番号 |
03(3522)1018(代表) |
FAX番号 | 03(3522)1017 |
当社は創業から120余年。石川式撹拌擂潰機(カクハン ライカイ機)の製造販売を通じ、多くの製造業の研究開発や生産現場へと貢献して参りました。
また、創業当初は創業者石川平蔵自らカタログを作成し、販売促進を行っておりました。
明治の創業当時は石臼と木杵先を搭載した機械でかまぼこ、練り物そして、その後は製餡、そば機等食品関係の製造に多く採用される事で石川式撹拌擂潰機120年の基礎を築きました。
転機となりましたのが昭和初期に当時から様々な材料の研究所や病院、医薬においての研究開発、実験で多く使われている磁器製の乳棒、乳鉢を機械に搭載したことです。これにより石川式撹拌擂潰機は常にその時代の最先端の材料の研究開発、製品の生産に採用使用される事になり、この磁器製の乳棒、乳鉢を搭載した機械は現在でも石川式撹拌擂潰機(自動乳鉢)の主力機械となっています。
昭和30年代「日本の宇宙開発の父」とされる糸川英夫博士のペンシルロケットの固形燃料製造石川式撹拌擂潰機(自動乳鉢)が採用されたこともその象徴です。この頃、磁器製の乳鉢を外側から加熱しながら撹拌擂潰処理が出来る電熱湯煎型、撹拌擂潰処理中の材料の脱泡や嫌気性材料の減圧、不活性ガス置換雰囲気での撹拌擂潰処理を可能にした真空型の機械を発売しました。
これらにより石川式撹拌擂潰機(自動乳鉢)は、より多様な環境下での撹拌擂潰が可能となり、さらに多くの材料の撹拌擂潰処理に使用されることになりました。
その後、昭和後半には耐摩耗性に優れたステンレス・メノウ・超硬合金・高純度アルミナ製などの乳鉢/乳棒をラインナップに加え、さらに多様なニーズに対応可能になりました。
平成半ばには、石川式撹拌擂潰機は卓上型を発売されました。石川式撹拌擂潰機の撹拌擂潰性能を小型で軽量な筐体(平成後半にはステンレス筐体も発売)に収納することで、研究開発用途や少量の試作、量産用にも石川式撹拌擂潰機を手軽にご利用頂ける様になりました。
明治30年(1897年) |
発明家の初代社長 石川平蔵が、国から要請を受け、水産物の粉砕機を開発。 「石川式撹拌擂潰機」と命名し、東京市芝区三田四国町(現在の東京都港区芝3丁目)に「石川工場」を創業。 |
明治35年(1902年) | 株式会社石川工場として法人化。 |
大正3年(1914年) | 第一次世界大戦始まる。 |
大正15年(1926年) | 「石川式撹拌擂潰機」を開発した功績により、 帝国発明協会より発明功労賞を受賞。 |
昭和初期(1930年代) |
2代目社長の石川治雄が、磁器製の乳鉢・乳棒を標準化。 水産練り物だけではなく、より多くの産業に 「石川式撹拌擂潰機」が提供される。 |
昭和14年(1939年) | 第二次世界大戦始まる。 |
昭和30年(1955年) | 「日本の宇宙開発の父」とされる糸川英夫博士が、 ペンシルロケットの固形燃料製造に「石川式撹拌擂潰機」を採用。 |
昭和後期 |
乳鉢/乳棒の材質のラインアップに、ステンレス・メノウ・超硬合金・高純度アルミナ製などが加わる。 耐摩耗性に優れた乳鉢/乳棒により、さらに多様なニーズに対応可能になる。 |
平成4年(1992年) | 5代目社長に石川隆治郎が就任。 |
平成6年(1994年) | 「石川式撹拌擂潰機第2号 蕎麦饂飩専用機」が開発され、全国の蕎麦店に採用される。 |
平成14年(2002年) |
本社工場を、東京都港区芝から江東区辰巳に移転。 卓上機を開発し、販売開始 |
平成25年(2013年) | 石川隆治郎が会長に就任。中村雅一が6代目社長に就任 。 |
令和5年(2023年) | 小型機 Tiny 発売 |
さらに石川式撹拌擂潰機(自動乳鉢)はより多くの材料を撹拌擂潰処理するため、
撹拌擂潰能力を上げるべく日々進化を続けています。石川式撹拌擂潰機の次の100年にもご期待ください。